映画「かがみの孤城」

公開されて間もない映画「かがみの孤城」を観てきました。
辻村深月さんの原作はまだ読んでいませんが、「こころ」を扱った作品らしいというので興味がわき
年末の多忙な合間を縫って足を運びましたが大正解でした。
 おとなになるということ
 親や友人との境界線の引きかた
 人間関係、仲間がいることの意味
などなど。
1つについて考えたらそれぞれ長い時間を要するようなテーマが散りばめられていました。

たくさんのセリフが心に残っていますが、ネタバレにならないように気を付けながら
1つ2つ書かせていただきます。


ある中学校に、いわゆる二面性がある悪魔のような女子(とその取り巻きグループ)がいます。
そして、彼女たちのせいで不登校になってしまう女子と
彼女たちを冷めた目で見て毅然としている女子が出てきます。
後者の子が、その質の悪い女子たちを評して
「ばかみたい。たかが学校じゃない」
「恋愛とか、目先にあるものしか考えていない。ああいう人たちはきっとどこに行っても5年後も10年後も同じ」
というのですよね。
前者の子は「たかが学校」という言葉に驚くのですが、
わたし自身も中学校でいじめを体験しているので、ハッとするものがありました。


これは普通の状態なら当たり前の言葉に思えますが、
大人になってもわたしたちはしばしばこの「たかが」を見失います。

その場所は、あなたが生きる、一つしかない場所ではありません。
自分を追い詰めている場所を、
「世界でたった一つしかない、自分を殺してまでしがみつかないとならない場所」
と思い込んでしまうと、離れることはできず、幸せにもなれません。 
(いずれ本当に殺される、命を奪われてしまいかねません)

「たかが職場」「たかが結婚」
そんな風に「自分自身の価値」と切り離して考えられたらいいですね。

そして、主人公がそれに気づいていく過程で登場するのが第三者の存在です。
作中で主人公が勇気を出して打ち明けた相手が
「それ、ないわ」
って言ってくれるのですよね。
これも、とっても大切です。

わたしたちは、いじめであれ、モラハラであれ、パワハラであれ、
異常な事態の中にいる時、「ふつう」を見失います。
異常な中にいる時、正常な判断ができません。

ですから、深みにはまって「ふつう」が分からなくなっている時に、
そこに中立的な立場から、「それ、ふつうじゃないよ」と
危険な位置にいることを知らせてくれる存在が必要です。
その第三者は、友人でも家族でも、カウンセラーでもいいのです。
ただし、きちんとあなたの気持ちに耳を傾けて聞いてくれる人でないとなりません。



以上、他にもたくさん気づくことの多い素敵な作品でした。
何年か経って、また見直してみたいなと思いました。