映画「ビリーブ 未来への大逆転」

2018年のアメリカの実話ベースの映画「ビリーブ」を見ました。

後にアメリカ合衆国最高裁判事となったルース・ベイダー・ギンズバーグという女性の若き日のストーリーです。

彼女はハーバード大学法科大学院を主席で卒業するほど優秀な学生でしたが、女性であることで冷遇されます。6年前にようやく女性も入学を許可された法科ですが、当時は女子トイレすらなかったそうです。ルースは結局夢であった法律事務所に就職も出来ず、大学教授として法律や性差別に関する講義を行いました。

1960年代、アメリカはまだどっぷり「男性は仕事、女性は家庭。何千年もそうだった」という意識でした。「法律を作った男性は男性を特権だと思っている」「男女の差別を合法としている」、その時代遅れな考えを変えようとルースは精力的に立ち向かい社会に変革をもたらすのです。

古い時代の概念のままの教授や弁護士や判事たちは「母親が働けば子どもが帰っても家に誰もいない、男性の給料が下がり、離婚が増え、社会基盤が崩れる」などと言い、女性に「女性らしい」生き方を強いています。気に沿わない発言には耳も貸しません。

あの自由なアメリカにもそんな時代があり、それほど昔の話ではないことに驚きます。

「女性は、妻は、嫁は、母親は、こうあるべき」そうした価値感や圧力に、古今東西どれだけの女性が不当に扱われ、抑圧され捻じ曲げられた生き方を強いられてきたのでしょう。こうした不条理に立ち向かって、後世のために闘ってくれた先人女性たちを尊敬します。最後に一瞬だけご本人映像が出ましたが、家庭もこなしながら(法律家であるご主人は生存率5%と告知された癌患者でしたが献身的に支え寛解)、猛烈に勉強して働いたであろう女性の、強く意志的な雰囲気がたった1,2秒の画面からビシビシと伝わりました。

人々の意識を変えることは岩を穿つように長い時間がかかります。でも誰かが動き、声を上げること、まずはそこがスタートだと思わせてくれる映画でした。

思えば、女性の自由な生き方や活躍が進んでいるというイメージのハリウッドでさえ「#MeToo運動」が始まったのは2017年のこと。つい最近です。これについてはまた別のところで書きたいと思います。

映画「ビリーブ」の原題